フェニックスファイナンス-2章27『喉元に刃を』後編

2020年4月30日

目次

本編


「いたぞ! 両翼先端が襲われている! 一度後退して、他の立て直せ!」

白髪頭の中年兵が叫びつつ、短めの槍を持って木陰から飛び出してきた。この周囲に潜んでいる分隊のリーダーだろうか。そう相手を見定めたデガドは同時に違和感を覚える。

この男は、味方に「後退しろ」と指示しながら、自分は「前に出る」という行動をとっている。それにも関わらず、声に怯えの色はほとんどない。何か策でもあるのか、それとも時間稼ぎの自爆攻撃か、とデガドは躊躇して動きを止める。

「デガド様! 私が行きます!」

デガドが一瞬動きを止めたことを見てとったリザードマンが果敢に飛び出した。だが、リザードマンは白髪頭の槍先に着地した瞬間、「うあっ」と呻いてバランスを崩し、周囲の地面ごと地中に吸い込まれていく。どうやら、落とし穴に誘導されてしまったようだ。

公国軍は魔族側の進軍を遅らせようと、森の中に無数の落とし穴や沼罠を設置している。これも、対処しなければいけない障害の1つと言える。

「馬鹿め! 貴様らと正面切ってなど戦うものか!」

白髪頭は得意げに言い放ってから森の奥へと逃げていく。眼前に到来した敵が落とし穴に落ちるように罠と自分の立つ位置を意識して飛び出し、足止めに成功すれば即座に距離をとる。対魔族戦闘に場慣れしている厄介なベテラン兵だ。

「大丈夫か!?」

デガドは落とし穴に近づき、下を見て声を掛ける。

「片足をやられましたが、大丈夫です! 私を足場にして、先に行ってください!」

穴底に敷かれた竹槍に足を貫かれながらも、リザードマンは腰のポーチから小瓶を取り出して、中の液体を一気に飲み干した。一定時間、体を金属のように硬化させる硬化薬という液剤だ。

森の中に設置された大量の落とし穴や沼罠に対して、今回デガドたちが採った対策がこの硬化薬である。罠に嵌った者は、自らを金属化することで後続の足場となるのだ。

「後続の救助隊を信じて待ってくれ!」

デガドの言葉を聞き、若いリザードマンはニッと笑みを浮かべた後、「踏み越えて行ってください」とでも言うように腕を頭上で組んだ姿勢で、鉄の像と化した。

「くっ…!」

その姿を目にしたデガドは、自己嫌悪で叫び出したくなる。こんな非人道的ならぬ非魔族道的なやり方を採用せざるをえない自分に、腹が立ってしょうがない。

だが、これを命令したのは他ならぬ自分だ。デガド自身が、咎を背負うことから逃げるのは許されない。

「おのれぇぇぇぇッ!」

デガドは咆哮し、鉄像となったリザードマンを思い切り踏んで一気に穴を飛び越え、逃走する白髪頭の背を追った。


ルヌギア歴 1685年 6月19日 AM6時40分 エパメダ南東 リリオの森

イエロー・レインボー達は、催眠ガス噴出装置の横で不安をさらに募らせていた。

「今日は、範囲内に1匹も入ってきませんね」

イエローは同じ塹壕に隠れた壮年の士官に向かって言った。

魔族軍が動き始めてから約30分。いつもならば、催眠ガスの範囲内に足を踏み入れた魔族達が、千鳥足になってフラフラとし始める頃だ。

「確かに、ここまで姿が見えないのは初めてかもしれませんな」

壮年の士官がイエローの懸念を肯定した。

牽制と思われる魔族からの投石攻撃は断続的ながら続いているし、周辺の伏兵部隊のいる方向からは、「ワァーッ」というかけ声や、金属の衝突音が響いてきてはいる。だが、催眠ガス範囲内での魔族の動きはゼロと言っていい。

「催眠ガスの効果範囲を見極められたましたかな。イエロー殿はどう思われますか?」

壮年の士官が不安顔で訊いてきた。

魔族軍は10日間もリリオの森へ侵入&後退を繰り返してきたのだから、「ここより先に前進すると眠ってしまう」という大まかな予測くらいはできていても不思議ではない。加えて、霧によって、効果範囲内が視認できる状況となっている可能性もある。

「その可能性が高い」とイエローが答えようとした時だった。突如、南方から聞こえる「ワァーッ」という声が大きくなった。催眠ガスの隙間を通った魔族が、伏兵部隊と激しく衝突しているのだろう。

「ううむ…。伏兵隊の方には敵が来ているようですな」

「ええ、声の大きさからしてそうですね。いつもより激しい感じです」

状況が激変し過ぎて、不安が胸を圧迫してくる。スタフティ将軍や、隠れ戦史マニアの長兄レッドが横にいてくれれば心強いのだが…。

そんな事を感じつつ、込み上げてくる胃酸を止めようと胸をトントンと叩こうとした時だった。果たしてイエローの不安は的中する。

「中央の伏兵防衛線が破られました!」

と、伏兵部隊の女性兵が肩から血を流しながら駆け込んできた。どうやら魔族軍は一点集中で伏兵部隊を蹴散らし、防衛線を突破したらしい。伏兵部隊は200人規模の小隊だが、壊滅してしまったのだろうか。

「敵にスマートなことをされるのは癪だし、落ち着かないなぁ」

イエローはそうボヤきながら、次にとるべき行動を必死に考え始めた。


ルヌギア歴 1685年 6月19日 AM7時30分 エパメダ南平原 公国軍の本陣

「スタフティ将軍! 市街地に入ってきたのはワーウルフなど40匹ほどの小勢です。こちらが市街地防衛に差し向けた兵が到着したのを見て、逃亡しながら放火する作戦に変えたようです!」

「オーライッ。さっさと追っ払って平原に戻るようにと伝えてちょーだい」

スタフティは市街地を一瞥すらせずに、伝令の兵に指示を出した。

魔族による陽動が始まってから1時間半ほど経過した。ここ10分、スタフティは本陣の中にある見張り櫓の上から、平原の東側にあるリリオの森の方にじっと視線を向けている。霧は晴れてきており、森の端までならば、肉眼でも目視ができる状況である。

数分前、北東に突然姿を現した魔族の大部隊が、幻術によるカモフラージュだったという報告もあった。動かざるをえない状況に追い込まれたので致し方ないのだが、現在の公国軍は「魔族側の陽動にまんまと乗って陣形を乱された状態」になっている。

「結果的ではありますが、陽動に踊らされてしまいましたね。陣形の再構築が間に合えばいいのですが…」

スタフティの一歩後方に立つレッドが希望を口にしたその時、櫓の下にまた別の伝令兵が飛び込んできた。

「リリオの森の伏兵部隊がやられました! 森が突破されます!」

「りょーかい」

スタフティはそう即答してから、息を大きく吸い込んで口を開く。

「全軍通達! 森からの敵襲に備えて防御陣形を敷け!」

その言葉に呼応して平原にいる公国軍の全兵士が一挙に動き始める。

「ははっ、そうは問屋がおろさねぇってトコっスね」

スタフティは一瞬振り返ってレッドの方を向き、苦笑を浮かべた。10日間足止めを成功させてきたが、ついに足止め防衛線を突破されてしまったようだ。

「お、出て来た出て来た。結構いるじゃーん」

視線を戻したスタフティが、リリオの森から飛び出してきた魔族の一団を視界に捉えた。濃紺の美しい獣毛に覆われたワーウルフを先頭にして、その一団はスタフティ達のいる公国軍本陣に向かって走り始める。

「さて、どこまで持ち堪えられますかねェ」

2章28前編に続く

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